2007年09月22日
不合理ゆえに吾信ず
題名は埴谷雄高の著書からの引用である。ここで述べたいのは不合理であることへ対する重要性だ。だから敢えてこのタイトルを引用した。
現代において合理的であることが良いことだと喧伝され、多くの人がその価値観に流されて生きているように感じる。構造改革などで不効率部門を整理して効率化・スリム化していく。昨日ニュースをみているとフランスも公務員を減少させる計画らしい。
この場合、経済の流れを考えなければならない。確かに今までの“現状維持”では先には進まない。おのずと限界が見えている。だから福祉国家フランスはワークシェアリングなどの方法で雇用を極力守ってきた。ワークシェアリングは一部の国では成果をあげているが、フランスでは馴染まなかったらしい。それは当然だ。それぞれの国の経済や国民性など背景となる事情が違うのだからどんなに素晴らしい方策であっても百%成功というのは不可能だ。それぞれの地域での特性がある。その都度、修正していかなければならない。
ぼくはフランスへ行ったことはない。本で読んだだけの知識しかない。しかし、フランスも世界の潮流と同じく、仕事経験のない若年層へ対する雇用が少ないらしい。企業は即戦力を求めている。そして人件費を抑制するために人員の採用には前向きではない。そのためアルジェリアなどの旧植民地からの移民が多いフランスではフランス人の求める雇用が極端に少ないというのが現状らしい。そして多くの若年層が仕事もなく、バイトで食いつなぐか、日本で言えば親のすねを齧り “ニート生活”を送っている。フランスだけではない、どこに国も似たような現状なのだ。
以前に述べた中国における反日学生、日本のネット右翼そして右傾化するフランス、すべてその背景が似ている。強い国家を求めて右傾化する現代の若者像の背景を考察すれば、仕事がなく親の世話になっている劣等感、画一化され個性が見つけ出せない焦燥感、何とか頑張っていこうというヤル気などが浮かんでくる。
ぼくはこのような状況を打破するために何が大切なのかと言えば、それは想像力なのだと思う。デジタル社会で歪になった想像力を不合理・不効率なことを敢えて行うことで取り戻す、その必要があるのではないか思う。不効率に生きれば、そこに無駄ができる。無駄と文字にしているが、もしかしてそれは無駄なのでなくとても大切な問題なのかもしれない。つまり無駄がなく、ロスしないように生き急いでいる現代社会だからこそ、無駄の中から新しい価値観を見出す必要性があるのではないだろうか。
ぼく達三十~四十代よりも若い十~二十代のほうが色々と考えて生きている人間が多いように感じる。ぼくらはある程度の教育を受けてきて、現状維持でも生きていける面もある。しかし若い世代は仕事の面にしてもいきなり即戦力を求められ教育を受ける機会さえないのが現状だ。そしてついていけない人間は心を病んで倒れていく…
若い人々のヤル気を活かせる社会の一つとして不合理・不効率があるのではないと思うのだ。時計を逆回転させる、それも一つの考えだと思う。
現代において合理的であることが良いことだと喧伝され、多くの人がその価値観に流されて生きているように感じる。構造改革などで不効率部門を整理して効率化・スリム化していく。昨日ニュースをみているとフランスも公務員を減少させる計画らしい。
この場合、経済の流れを考えなければならない。確かに今までの“現状維持”では先には進まない。おのずと限界が見えている。だから福祉国家フランスはワークシェアリングなどの方法で雇用を極力守ってきた。ワークシェアリングは一部の国では成果をあげているが、フランスでは馴染まなかったらしい。それは当然だ。それぞれの国の経済や国民性など背景となる事情が違うのだからどんなに素晴らしい方策であっても百%成功というのは不可能だ。それぞれの地域での特性がある。その都度、修正していかなければならない。
ぼくはフランスへ行ったことはない。本で読んだだけの知識しかない。しかし、フランスも世界の潮流と同じく、仕事経験のない若年層へ対する雇用が少ないらしい。企業は即戦力を求めている。そして人件費を抑制するために人員の採用には前向きではない。そのためアルジェリアなどの旧植民地からの移民が多いフランスではフランス人の求める雇用が極端に少ないというのが現状らしい。そして多くの若年層が仕事もなく、バイトで食いつなぐか、日本で言えば親のすねを齧り “ニート生活”を送っている。フランスだけではない、どこに国も似たような現状なのだ。
以前に述べた中国における反日学生、日本のネット右翼そして右傾化するフランス、すべてその背景が似ている。強い国家を求めて右傾化する現代の若者像の背景を考察すれば、仕事がなく親の世話になっている劣等感、画一化され個性が見つけ出せない焦燥感、何とか頑張っていこうというヤル気などが浮かんでくる。
ぼくはこのような状況を打破するために何が大切なのかと言えば、それは想像力なのだと思う。デジタル社会で歪になった想像力を不合理・不効率なことを敢えて行うことで取り戻す、その必要があるのではないか思う。不効率に生きれば、そこに無駄ができる。無駄と文字にしているが、もしかしてそれは無駄なのでなくとても大切な問題なのかもしれない。つまり無駄がなく、ロスしないように生き急いでいる現代社会だからこそ、無駄の中から新しい価値観を見出す必要性があるのではないだろうか。
ぼく達三十~四十代よりも若い十~二十代のほうが色々と考えて生きている人間が多いように感じる。ぼくらはある程度の教育を受けてきて、現状維持でも生きていける面もある。しかし若い世代は仕事の面にしてもいきなり即戦力を求められ教育を受ける機会さえないのが現状だ。そしてついていけない人間は心を病んで倒れていく…
若い人々のヤル気を活かせる社会の一つとして不合理・不効率があるのではないと思うのだ。時計を逆回転させる、それも一つの考えだと思う。
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