物質的な進化の次は精神的な進化。精神的な進化の先に新しい「未来」がある。「いま」は「過去」から連綿として続いているが大切なのは「いま」。「過去」があるから「いま」がある。「いま」があるから「未来」がある。その視点を忘れず、結果を早急に求めず考え続けて少しでも前進していきたい。煽られた欲望を「我慢」することによって、人は精神的に進化できるのではないだろうか。精神的な進化が人類そして地球の進化であると信じる。まず自分を信じることから始めたい。自分を信じるためには努力するしかない。

2007年09月28日

団塊世代が変われば社会は変わる

 今年は団塊世代の退職問題が話題になった年だった。日本を支えてきた団塊世代ではあるが、逆に仕事中心で心の豊かさ劣化させた世代とも言える。団塊世代の功罪を考えることは重要だ。

 現在、日本を支えてきた年金制度、医療制度など資本主義アメリカと共産主義ソ連・中国の間に挟まれた日本は、多くの社会主義的要素を資本主義の中に取り入れ、国民は多くの社会的権利を受けてきた。しかし、冷戦崩壊後、世界はアメリカの一人勝ちとなり、剥き出しの資本主義である新自由主義がグローバリゼーションという名で世界を跋扈した。そして日本を支えてきた社会保障=セーフティネットは崩壊した。

 このような状況下で団塊世代の功罪の罪の部分を論えばきりがない。しかし、団塊世代が一生懸命に働いて物質的に豊かで飢えのない社会を築いたのも紛れもない事実だ。まずその事実にそれに続く我々の世代は感謝しなければならない。が、同時にどうしてもこのような日本の状況を鑑みるとその罪の部分にも触れなければならないのだ。

 罪は心の豊かさの問題だ。しかし、この問題は次の世代へ繰り越されたテーマだと思う。とりわけ団塊世代の子供たちである、我々団塊ジュニアがかかえる問題だ。団塊世代が物質的に豊かな社会を築いてくれたのだから、今度は団塊ジュニアが精神的にも豊かな社会を築くべきだと個人的には考えている。

 では団塊世代はそのまま退職してリタイアかと言えばそうではないと思うのだ。団塊の世代がよく語る言葉に、「これまで一生懸命働いてきた、もうゆっくりさせてくれ。あとは若い人でがんばって」という言葉を耳にする。確かに気持ちは分かる気がするが、逆に若い世代が団塊世代に向けて放つ、「逃げ切り世代」という批判の気持ちもわかるのだ。

 団塊世代には何が出来るのだろうか? このまま退職してのんびり暮らすのが本当に幸せなのかと思う。最初の数年間は旅行など今まで出来なかった趣味に時間を費やして楽しいひと時を過ごせると思う。だが、人はやはり社会の役に立っているから、人の役に立って人とつながっていれるから生きていると感じられるのではないだろうか。

 団塊世代に必要なことは、空いている時間を社会奉仕にあてるべきだ。例えば、行政が金がなくて滞っている分野に強制されるのではなく、自分で考えてかつての経験を活かす「居場所」を探すべきなのではないだろうか。それは上から押し付けと考えるものではなく、自分のために、次の世代が良くなる手助けをする。そのような積極的な良心の問題だと思うのだ。そうすることで世の中が良くなっていけば、逃げ切り世代と蔑まれることなく、みんなが笑って笑顔で暮らせる社会になると思うのだがどうなのだろうか。

 一つ言えることは団塊世代が信じて築いてきた社会は残念ながら崩壊しており、その事実から目を逸らすことなく向き合うことで、行政に頼らず民衆間で助け合って生きてく新しい時代を築く努力が必要だという現実だ。団塊世代の協力なくして新しい時代は創出できない事実がある。逆に団塊世代が変われば社会は大きく変わると思うのだ。もちろん団塊世代だけでなく、すべての世代が協力して助け合って生きていく社会を築く必要がある。

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